安住紳一郎アナの実家は北海道の帯広市、で合ってるでしょうか?
ご実家の父母のこと、きょうだいは姉1人で柏倉早智子さん。
今回は安住紳一郎アナの実家と両親、姉の柏倉早智子さんについても調べてみましょう!
安住紳一郎アナの実家は帯広市?
安住紳一郎アナの実家は、北海道の帯広市にあるようです。
米倉涼子さんも、安住紳一郎アナの実家は帯広市だとご存じでしたよ!
米倉涼子さん、安住アナの実家へ
米倉涼子さんが安住アナの実家へ挨拶に行きたい、と言い出して安住アナをうろたえさせたことがありました。
2019年5月10日に放送された『ぴったんこカン・カンスペシャル』で、安住紳一郎アナと共に北海道の札幌を訪れた米倉涼子さん。
「帯広じゃないんですね。ご挨拶だけでも、と思ったんですけど」と頬を膨らませて見せて、安住アナがうろたえるという場面が放送されました。
そのあと、二人で安住母のためにお土産を選んだり、ばんえい競馬の馬でそりを曳く体験をしたりと盛り上がりました。
最後に米倉涼子さんが「次は帯広に。リベンジですね」と話しかけると、安住アナが「小さな街なんで、安住が米倉涼子を連れて帯広に来たっていうとオーバーフローしちゃうんですよ、みんなの興奮の限界が」と慌てて制止する、というオマケ付きでした。
2019年5月段階で、安住紳一郎アナの実家は北海道帯広市で間違いないでしょう。
学齢期は芽室町にも住んでいた
安住紳一郎アナの実家は、現在は帯広市のようですが、安住アナが小学校2年生までは美幌町、学齢期には芽室町に住んでいたこともあったようです。
小学生の頃に安住アナが所属していた少年野球チームの名前は「芽室ジャガーズ」でした!
帯広市と河西郡芽室町は、隣接しています。
一方、帯広市と網走郡美幌町はずいぶん離れていますよ。
安住アナの父母はどんな人?
安住紳一郎アナの、帯広市の実家に住んでいるご両親、父母はどんな人でしょうか?
もちろん、一般人であるため詳しい情報は公開されていませんので、最小限の範囲でご紹介します。
父上は昭和18年生まれの「すえひろ」さんという方です。
母上は昭和22年生まれで「たかこ」さんです。
きっと地元の帯広市では安住紳一郎アナの両親として有名人なんでしょうね!
安住紳一郎アナの父は製糖工場勤務のサラリーマン
安住紳一郎アナの父は、「日本甜菜製糖の工場に勤務していた」と、安住アナの姉である柏倉早智子さんが2011年にインタビューに答えています。
父親が日本甜菜製糖の工場に勤務していたことから、帯広市稲田町にある帯広製糖所の社宅で生まれ、大学入学のため十勝を離れるまでの約14年間を帯広市と芽室町で過ごしました。
引用:北海道新聞帯広支社
「大学入学のため十勝を離れるまでの約14年間を帯広市と芽室町で過ごし」と書かれていますが、北海道の方が「十勝」と言うときは、帯広市を中心に「1市・16町・2村」合わせて19の自治体で構成された人口およそ34万人の地域のことなんだそうです。
ずっと「十勝市」という自治体があると思いこんでいましたが、十勝市っていう自治体はないんですね!
それはそうと、安住アナの2歳違いの姉、早智子さんは「帯広市稲田町にある帯広製糖所の社宅で生まれ」たと書かれています。
帯広製糖所とは?
帯広製糖所というのはどんな会社でしょうか。
調べてみると、「日本甜菜製糖株式会社」が、昭和52年に閉鎖されるまで「帯広製糖所」を使っていたことがわかりました。
旧日本甜菜製糖(株)が創立されて、帯広工場完成したのが大正9年だったと日本甜菜製糖株式会社の沿革に書かれています。
昭和34年には、美幌製糖所が完成しています。
そして昭和52年に、帯広製糖所を閉鎖。
ということは、安住紳一郎アナの父上は「日本甜菜製糖株式会社」の「帯広製糖所」に勤務したり、「美幌製糖所」に転勤になったり、また「帯広製糖所」に戻ったりしていた、ということのようですね!
帯広市→美幌町→芽室町→帯広市。
ということですね。
安住アナの母はどんな人?
安住アナの母上について安住アナが語ったところによれば、母上は四人姉妹の長女でタカコさんとおっしゃるそうです。
「私は母が4人姉妹なものですから、うちの母が長女でタカコって言いまして、次女がノブコ、そしてスミコ、カズコですね。タカコ、ノブコ、スミコ、カズコの4姉妹なんです。背格好ほとんど一緒ですからね」
と日曜天国で安住アナが話しています。
とてもよく似た姉妹で、神経衰弱のようだと笑い話にしていらっしゃいましたよ!
安住紳一郎アナの姉、柏倉早智子さん
さて、安住紳一郎アナの二歳違いの姉、柏倉早智子さんについて見てみましょう。
学生時代からチアリーディングをしていました。
今では高校教師をしながらチアリーディングの指導者としても活躍されています。
2006年からは、NHKのBS1で放送されている『チアリーディング日本選手権大会』の解説も担当しているそうですよ。
解説が上手になった柏倉早智子さん
安住紳一郎アナは、この「日曜天国」の中で、姉である早智子さんに対するシスターコンプレックスを告白しています。
たいへん優秀な姉上で、つねに後追いをしていたという安住アナ。
幼稚園、小学校、中学校、高校と同じところへ通って「安住の弟」と呼ばれていたそうです。
社会人となって、やっと姉がやっていないアナウンサーというジャンルを開拓した、ついに姉がやっていないことをやり始めた、と思ったら。
知らないうちにまた巻き返されていたらしいですよ。
『チアリーディング日本選手権大会』の解説を引き受けた早智子さんががみるみる上達してしまって、「参ったなぁ~」と笑
放送局で働きたかったのは早智子さんの方だった
この日曜天国の中で「放送局で働きたいっていうのは、もともと姉の強い希望だったんですよ」という話も出ています。
「それで、お姉ちゃんが叶えられなかったことを、オレやってやったもんね、というのが、安住紳一郎の安住家における唯一の存在意義だったのに」
「うちの姉、早智子は、女々しい弟紳一郎が大嫌いなんだよね」
夜、眠るときには「おやすみ、お姉ちゃん」と呼びかけて、返事をしてもらえないと落ち着いて眠ることが出来なかったそうですから、それは二歳違いの姉としては「女々しい」と判断しちゃいますね~!
こちらは2011年に北海道新聞帯広支社の記事に掲載された、安住紳一郎アナと姉の早智子さんが写る1982年に撮影された写真です。
1982年ということは、早智子さん11歳、安住アナ9歳でしょうか?
仲良しきょうだいですね、かわいい~!
早智子さんの経歴
柏倉早智子さん、旧姓安住早智子さんは、中学校ではバスケットボール部に所属、
1989年に大妻女子大学に入学。
大妻女子大学のチアリーディング部に所属して活躍しました。
卒業後、北海道の公立学校の教諭として就職。
1995年に北海道興部高等学校に赴任。
1999年に北海道剣淵高等学校に赴任して、チアリーディング部の顧問も務めていらっしゃいます。
日本女子チームをキャプテンとして優勝に導く
2001年、30歳の時に東京で開催されたチアリーディングの『第1回世界選手権』に参加した「日本女子チーム」のキャプテンを務め、見事チームを優勝に導いています!
同じ大会では、早智子さんの夫である小学校教諭、柏倉崇志さんも男女混成チームで優勝したのだそうです!
なるほど、安住紳一郎アナが「強度のシスターコンプレックス」を抱くという姉、早智子さん、たしかに優秀過ぎるほど優秀な方ですね!
姉の後を追って教師になるつもりだった安住アナ
この姉上が教師の道に進んだので、安住紳一郎アナもとうぜん教師の道に進むつもりだったんだそうです。
教育実習も済ませ、就職する高校も決まっていた段階で、大学の掲示板でアナウンサー募集のポスターをたまたま見かけて、記念受験のつもりで受験して、けっきょくTBSに入社することになった安住アナ。
どうも、この優秀過ぎる姉上、早智子さんがいなかったら、今の安住紳一郎アナは存在しなかったんじゃないかとすら思えてきます。
きょうだいって、ほんとうに特殊なご縁ですね~!
きっと、安住紳一郎アナのシスターコンプレックスは、この先も癒えることはないような気がします。
それも原動力にして前へ進んでいく安住紳一郎アナ、ほんとうに逞しいですね!
TBSの男性アナウンサー情報です。
TBSテレビのアナウンサーのプロフィールや出演番組、イケメンアナから筋肉アナまで総まくり。
意外な素顔や私生活のヒミツまで、TBSテレビ男性アナの魅力をお楽しみください。
コメント
youtubeの「日曜天国★ファン」さんの再生リストの中に、「超オススメ」というのがあり、その10番目に「うんこ」というものがります。その中で、小学校から家に帰る時間が40分から45分かかる。中間点に同級生の木内呉服店があり、同級生のフルネームも出ていました。遊びによる体でトイレに寄っていたという話でした。
cherry_pokemonさん、そうだったんですか~笑
それは知りませんでした!家に帰りつくのに45分もかかるとは、安住紳一郎少年に途中でうんこに立ち寄る同級生の家があってよかったですね!
情報どうもありがとうございます!