上重聡アナと松坂大輔投手は高校時代のライバル!今は親友の松坂引退で上重アナと対談?

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上重聡(かみしげさとし)日本テレビアナウンサーと松坂大輔投手は同い年で、高校球児時代には共にピッチャーとして甲子園の歴史に残る名勝負を戦いました。

その後の人生は、上重聡アナは日本テレビの局アナに、松坂大輔投手は西武ライオンズから大リーグへと大きく離れたように見えますが、今でも二人は親友同士だといいます。

松坂大輔投手の引退で、なぜ上重聡アナがいちいち引き合いに出されるのか不思議に思った方もいらっしゃるでしょうが、二人には深い因縁があったのです。

今回は、松坂世代と呼ばれる上重聡アナの野球人生と、アナウンサー人生を見てみましょう!

横浜高校vsPL学園@甲子園で延長17回の死闘

上重聡アナと松坂大輔投手が高校生だった1998年。

上重アナは大阪の強豪校であるPL学園高校のエースピッチャー、松坂投手は神奈川の強豪校である横浜高校のエースピッチャーとして春の甲子園大会に出場しました。

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1998年、春のセンバツ甲子園大会準決勝

松坂大輔投手を擁する横浜高校と、上重聡投手のPL学園高校の名勝負と言えば、1998年夏の甲子園大会準決勝の試合が有名ですが、春のセンバツ甲子園でも両校が準決勝で対戦しています。

7回が終わって2対0でリードしていたPL学園は、8回表に同点にされ、9回表には逆転されて敗退。

このセンバツ大会を最後にユニフォームを脱いだ中村順司監督は通算58勝。

もしも、PL学園高校がこの試合に勝ち、決勝戦にも勝っていれば、通算60勝だったのに…惜しい。

1998年、夏の甲子園大会準決勝

夏の甲子園準決勝、奇しくもセンバツと同じく横浜高校vsPL学園高校。

史上5校目の春夏連覇がかかる横浜高校のピッチャーはもちろん松坂大輔投手、対するPL学園高校のピッチャーは先発の稲田学投手から7回表に上重聡投手に交代。

またPL学園が先制しましたが横浜が追いついて、5対5で延長戦に突入しました。

この試合は、延長11回表に横浜が1点得点すると、その裏にPL学園が得点してさらに延長、16回表にも横浜が1点得点しましたが、その裏にまたPL学園が得点、なかなか勝負がつきません。

延長17回表、横浜が2点得点して、その裏を松坂大輔投手が守り切り12時7分に試合終了となりました。

試合開始は8時30分、試合時間は3時間37分で、松坂大輔投手は1人で250球を投げ切り完投勝利を上げました。

この動画、なんとフルバージョンです。

1998年夏の甲子園大会準決勝、横浜高校vsPL学園高校の試合がフルで見られるんですよ!

ビールと枝豆を準備してからゆっくりどうぞ~!

上重聡アナがアナウンサーになった理由

高校卒業後、上重聡投手はスポーツ推薦で立教大学へ進学、六大学リーグでもピッチャーとして活躍することになります。

一方、松坂大輔投手は「超高校級」「平成の怪物」の呼び声と共にドラフト会議にのぞみ、西武ライオンズに入団して背番号「18」を背負うことになりました。

上重聡投手の六大学リーグでの活躍は?

立教大学のピッチャーとなってからも上重聡投手の活躍は続きます。

2年生の時には、リーグ最終戦の東大戦で完全試合を達成しています。

卒論には、このときの試合のことを原稿用紙200枚分も書いたといいますから、それくらい記憶に残る試合だったのでしょう。

サンスポの対談では、上重聡アナはこう話しています。

「選抜の準決勝で負けてからは打倒松坂、打倒横浜。大輔がいなかったら、充実した高校生活は送れなかったと思う。僕も当時140キロ以上を投げていたけれど、大輔は150キロ。全然目立たなくて、スカウトの方には『1つ上の学年に生まれていたら指名したのに』と言われました。僕のプロ入りのハードルを上げた存在だった」

引用:サンスポ

「1つ上の学年に生まれていたら指名したのに」って、松坂投手と上重聡アナの因縁のすべてがここに詰まっているような気がします。

松坂みたいな活躍は出来ない

上重聡投手は3年生のときに、「松坂みたいな活躍はできない」と自ら見切りをつけて野球から引退を決め、就活を始めました。

プロ野球選手にはならないことを松坂大輔投手に告げたときは、松坂投手から本気で怒られたといいます。

その後、上重聡さんはエントリーした日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日の全社から内定をもらって、2003年に日本テレビに就職しました。

こうして、松坂世代と呼ばれる野球選手の1人である上重聡さんは、野球選手ではなくアナウンサーになりました。

2006年WBC決勝戦

2006年に行われた第一回WBC、ワールド・ベースボール・クラシック大会は、野球の世界一決定戦として開催され、日本チームが優勝しました。

決勝戦はカリフォルニア州サンディエゴにあるペトコ・パークで行われ、松坂大輔投手が先発をつとめました。

この決勝戦を中継したのは日本テレビで、アナウンサーは上重聡アナでした。

勝利後のシャンパンファイトで、上重聡アナは松坂大輔投手にマイクを向け、共にシャンパンファイトを楽しみました。

上重聡アナのアナウンサー人生と、松坂大輔投手の野球人生が交錯した瞬間でした。

野球は諦めてもアナウンサーとして関わりたい

上重聡アナがアナウンサーを職業として選んだのは、野球は諦めるけれど野球に関わっていたい、という気持ちからだったそうです。

アナウンサーになれば、試合の中継や、選手への取材もあるというわけです。

2003年に日本テレビに入社して、今年で18年。

松坂大輔投手の引退を伝える役目が上重聡アナに回ってきました。

松坂大輔投手の引退

松坂大輔投手の引退を、上重聡アナが伝えるときが巡ってきました。

西武ライオンズから、2006年に大リーグのレッドソックスへ、契約金5,200万ドルの6年契約で移籍した松坂大輔投手は、2008年には日本人シーズン最多勝となる17勝を挙げる活躍をしました。

2014年、福岡ソフトバンクホークスへ、2017年、中日ドラゴンズへ。

2019年、古巣の西武ライオンズへ戻った松坂投手ですが、首の痛みと右手のしびれで手術を受け、実戦登板がないまま2021年7月7日に、今シーズン限りで引退を発表しました。

故障に苦しめられてきた松坂大輔投手、最後は怪我による痛み、痺れと、心が折れたことで引退を決意しました。

長い間、ほんとうにおつかれさまでした。

いい野球人生でしたね。

酷使し続けた右腕も、身体も心も、ゆっくり休んで、いつか再始動してくれることでしょう。

シーズンが終わるまでまだ時間がありますから、なにかしらファンに姿を見せる機会もあるかもしれません。

その時には、かたわらに上重聡アナがいるかも知れませんね!

日本テレビが西武ライオンズの試合を中継するときは、アナウンサーは上重聡アナ、解説は松坂大輔さん、というのも見られるかもしれません。

スーパースター松坂大輔投手が現役引退するのは寂しいですが、引退後の活躍も楽しみにしていましょう。

上重聡アナの学歴とプロフィール

最後に、上重聡アナの学歴とプロフィールを見てみましょう。

上重聡(かみしげさとし)

・生年月日:1980年(昭和50年)5月2日生まれ
・出身地:大阪府八尾市出身
・趣味:料理 得意料理は炒飯とプリン
・特技:野球 甲子園に三回出場している

・出身高校:PL学園高校
・出身大学:立教大学コミュニティ福祉学部コミュニティ福祉学科卒業

・日本テレビ入社:2003年入社
・同期入社:鈴江奈々、森麻季、右松健太、望月浩平、日本テレビのアナウンサーを続けているのは上重聡アナと鈴木奈々アナだけ。

上重聡アナは日本テレビとフジテレビとテレビ朝日の就職試験を受けて、三社とも合格して日本テレビを選んで入社しました。

野球を始めとしたスポーツ中継だけではなく、『シューイチ』『バゲット』など情報番組にも出演して存在感を示している上重聡アナです。

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